戦後モンゴルに刻まれた日本人抑留者の記憶 ウランバートルでの強制労働とその歴史的背景
第二次世界大戦の終結後、約60万人以上の日本人がソ連およびその衛星国に抑留されました。そのうち、約数万人がモンゴル人民共和国(現在のモンゴル国)に移送され、ウランバートル周辺の労働収容所で過酷な強制労働に従事しました。特にウランバートル近郊には約1万人前後の日本人抑留者がいたと推定されており、この事実は日本の戦後史の中で比較的知られていませんが、モンゴルの都市発展と抑留者双方に深い影響を及ぼしました。
当時のウランバートルは小規模な都市であり、戦争の混乱からの復興とともに基盤整備が急務でした。モンゴル政府はソ連の支援のもと、道路や橋梁の建設、学校や倉庫など公共施設の整備を進めていましたが、労働力不足の中で日本人抑留者を重要な労働力として活用しました。彼らは極寒のモンゴルの冬、厳しい環境と食糧不足に耐えながら、ウランバートル市内および周辺の主要幹線道路の舗装や拡張工事、公共建築物の基礎工事に従事しました。
元抑留者の証言では、チンギス・ハーン広場周辺の整備や学校施設の建設なども行っていたことが語られています。彼らの労働は都市のインフラ整備に確かな貢献を果たしましたが、その過酷さは想像を絶するものでした。劣悪な住環境と食糧不足、そして長時間の重労働のために、多くの抑留者が栄養失調や疾病で倒れ、その犠牲者数は数千人に上ると見られています。
しかし、当時のモンゴルおよびソ連の公文書の多くは未公開であり、詳細な記録や具体的な建物名は不明な点が多く残っています。そのため、元抑留者の証言や戦後史研究者による調査が、当時の実態を知る貴重な情報源となっています。
代表的な証言集には、『抑留と戦後 日本人捕虜の記録』(日本捕虜協会編)や『満蒙抑留体験記録集』(戦後史研究会編)、田中一郎著『モンゴルに残された日本人たち』があり、彼らの過酷な労働や生活の実情が詳細に語られています。これらの証言集は、個々の体験を通じて抑留者の日常と苦難を伝える貴重な資料です。
さらに、学術研究の面でも、鈴木隆一氏の『戦後抑留史とモンゴル―日本人捕虜の労働と記憶』がモンゴルでの抑留者の歴史的背景や社会的影響を分析し、強制労働の実態を明らかにしています。『日本人抑留者のソ連・モンゴルにおける強制労働』(歴史学研究第45巻)では、抑留者の動員先や労働内容、犠牲者数について学術的に考察されています。また、モンゴル歴史協会発行の『ウランバートルの抑留者記念碑調査報告』は、現地に残る記念碑や墓地の調査を通じて、抑留者の歴史的足跡を掘り起こしています。
これらの証言や研究は、長らく忘れ去られてきた歴史を掘り起こすだけでなく、犠牲者への追悼や歴史の正しい認識を促すうえでも重要な役割を果たしています。ウランバートルに残る日本人抑留者の記念碑や墓地は、その苦難の歴史を伝える貴重な象徴であり、今後も日本とモンゴルの両国がこの歴史を共有し、後世に語り継ぐことが強く求められています。



参考
https://en.iss.gov.mn/?p=1450
https://www.archives.go.jp/about/activity/international/jp_mn50/ch03.html
https://ktym.org/mongolia-ulaanbaatar-cenotaph/
https://world-diary.jica.go.jp/kitanohisako/cat2589/post_25.php
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